第2話 里山のサイクル
保田茂先生は、神戸大学名誉教授で兵庫県”ひょうご「農」担当参与”でいらっしゃいます。「食」担当参与の私とは参与つながりでご一緒する機会が何かと多く、そこでの何気ない会話の中に、へぇ~と感心する話がいっぱいあるんです。皆さんにも是非聞いてもらいたくてひとつのコーナーを作ってしまいました。
第2話は「里山のサイクル」、操と保田先生のホコっとしたちょっといい話、お楽しみくださいね。
山つつじが満開で、綺麗ですね。
里山っていいですよね。ところで、最近は里山を山の散歩道かなにかと間違えてる人も多いみたいですね。
どういうことですか?
私の育った但馬では4~5年ごとに山の場所を変えて、一年分の燃料になる薪が取れそうな所を家族総出で伐採し、まる裸にしてしまうんです。ちょうど、6月の田植えの前、山のつつじが咲き終わる頃に。そして、そのまま夏を過ぎるまで放っておくんです。10月の稲刈り前に、伐採した薪はカラカラに乾いているので、それを、やはり家族総出で家に持ち帰り、薪小屋に入れ、一年間、それを大事に燃料に使うんですよ。
へぇ~!
昔、マッチは貴重品やったから、一本のマッチでほんの少しの古新聞に火をつけて、ワラや神社の参道から拾ってきた杉落葉に火を移し、次に里山から取ってきたおどろ(柴、細かな木の枝)に火をつなぎ、最後に割り木(薪、太目の木はヨキで割って火がつきやすくしたもの)に火を移すんです。カマドでごはんを炊く時、こんな風にして火を燃やしてきたんですよ。当時のマッチは火がすぐ消えるので、薄い杉板の先に硫黄を付けたものなんかも売ってたことを思い出しますね。
火は大切だったんですね。
上手に火をつけるのは立派な技術だったんですよ。ところで、まる裸になった里山は、翌春、つつじの株元からいっせいに芽が吹き、クヌギの株からも新芽が一斉に芽を出し始め、4~5年もすると元の里山に帰るんです。いまは、人が山に入らへんですから、雑木が生い茂り、カシのような常緑樹も増えはじめ、竹や笹がはびこって使い物にならない山が増えてしまっているんです。笹がはびこると、エサもないし、歩くのも邪魔ですから、イノシシも嫌がる山になってしまうんです。
へぇ~。
里山は定期的に丸裸にするくらい手をいれないと、やがて、時間とともに常緑樹が茂って山の中は真っ暗になってしまうんです。縄文人なんかは昼でも薄暗い山のなかで、どんぐりやらを拾い集めてたんだろうと思いますよ。
ふ~ん、里山ってそうゆうものだったんですね。